このブログはアイスランド(地の果てテュレ)を愛してやまない日本人コマによる旅行記&滞在記です。
アイスランドのきれいな景色やかわいい街並み、どうでもいい小ネタをご紹介します。
短期滞在の旅行では飽き足らず、ついに2019年から大学留学という形でアイスランドに滞在しています。
その前にイギリスにも住んでいたため、イギリスネタもかなり挟まれてます。

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2016年7月17日日曜日

ヘイスティングスの戦いの地へ

バトル駅の看板

2016年5月7日

ウィリアム征服王で有名な決戦の地ヘイスティングスへ行ってきました。
語学学校のソーシャルプログラム(有料または無料の課外授業)で、
今回の遠出は他の学校の方々との合同イベント。
他の語学学校の中国人の女の子とも仲良くなりました!
先日行ったロンドン塔はウィリアム征服王が大改装したということもあって
ヘイスティングス熱が高まっていたところなので、まさに渡りに船!

駅とは思えない可愛さのバトル駅
さて、ロンドンのヴィクトリア駅から電車に揺られること1時間、
ヘイスティングスの戦いの地、その名も「バトル」へ。

ヘイスティングスの街から少し北に行ったところに戦いの地はあります。

戦いの地への入り口 
当時とは様子が異なるのでしょうが、本当にただの広い平原でした。
でもここで1066年に今日のイギリスを左右する戦いが繰り広げられたのかと思うと感慨深いです。
日本語のオーディオガイドを聴きながら、広い野原をぐるっと一周。


ざくっと当時のことを説明すると、
群雄割拠の時代、イングランド王の跡目争いで、
先王の遠縁にあたるフランス・ノルマンディーのウィリアムが勝利して

イングランド王になったのがこのヘイスティングスの戦いなのです。

今はのどかな平原ですが、ここが戦いの地「バトル」

歴史オタクの長々とした解説が不要の場合は次の写真へ飛んでください。
ヴァイキングの時代の末期、
1016年にデンマークのクヌート王Cnut the Greatがイングランドを征服しました。
彼の死後、アングロ・サクソン系のエドワード懺悔王Edward the Confessorが即位して、
1043年にイングランドはデンマークから独立します。
しかし共同統治者だったクヌート王の息子であり、
エドワードの異父弟でもあるハーデクヌーズHarthacnutが突然亡くなったことで、
エドワードは王位を得たわけですが、その権威は弱々しいものでした。
デンマークにイングランドが征服されていた際に、
エドワードは母親の故郷でもあるフランスのノルマンディーに亡命しており、
王に即位した後も、ノルマンディーの諸侯を高位に就かせて自分の後ろ盾としていました。
というのも、妻の父親ウェセックス伯ゴドウィンの勢力に何かと圧力をかけられていたからです。
懺悔王という名の通り、エドワードは亡命時に修道士として20年以上過ごしており、
結婚はしたものの子どもを設けることはなかったそうです。
(彼の信仰心は歴代のイングランド王の戴冠式が行われるウェストミンスター寺院の建設でも知られています)
エドワード王は、後継者には甥のエドワード・アシリングを指名していましたが、
王よりも先に亡くなってしまったため、その息子エドガーを改めて後継者に指名しました。

1066年1月、エドワード懺悔王が亡くなったとき、
後継者指名されていたエドガー・アシリングは14~15歳で若すぎたため、
王の義弟ハロルド(ウェセックス伯ゴドウィンの息子)がハロルド2世Harold Ⅱとして即位。
しかし、ハロルド王の弟トスティとその支援者ノルウェー王ハーラル3世、
さらにはフランスのノルマンディー公ギョーム2世が反発して戦いが起こりました。

ハロルド2世は、まずは9月25日にスタンフォード・ブリッジの戦いで 弟トスティとハーラル3世を打ち負かします。
(北欧史的にはヘイスティングスよりもスタンフォード・ブリッジの戦いの方がアツい)
次いで10月14日、ヘイスティングスの戦いでギョーム2世と戦います。
(スタンフォード・ブリッジからヘイスティングスまで400kmあるので、よく移動したもんです)
ギョーム2世はエドワード懺悔王の従甥(従弟の息子)にあたり、
エドワードがノルマンディーに亡命していた時に親しくしていて、
王の後継者として指名も受けていたと主張し、後継者争いに名乗りを上げました。
はじめはハロルドのイングランド軍が優勢でしたが、
ついにギョーム率いるノルマン軍は戦いに勝利しました。
ギョーム2世はドーバー、カンタベリーも陥落させ、12月にはロンドンも降伏させました。
ついに12月25日、ノルマンディー公ギョーム2世は
ウェストミンスター寺院でウィリアム1世として即位し、ノルマン王朝を開きました。
(ロンドンという街は王から独立した力を持っていて、ロンドンに受け入れられない王はウェストミンスター寺院で即位できないのです)
1月のエドワード懺悔王の崩御から約1年。1066年という年がいかに激動の1年だったことか!
そして、征服王ウィリアム1世の勝利を決定づけたヘイスティングスの戦いが
いかに重要だったか想像に難くありません。




ということで、950年前の戦いに想いを馳せながらバトルの地を散策しました。
とっても見晴らしの良い平原です。
周囲にはハロルド王含む戦没者を悼むために建てられた寺院跡や、
今は学校として使われているかつての修道院が建っています。

ハロルド王含む戦没者を悼むために建てられた寺院跡

きれいなお花と寺院跡。諸行無常を感じます。

1818年に作られた氷室なんだそうです。

中世の衣装を身にまとって歴史を語る人

今は学校として使われているかつての修道院

フランスから送られた記念碑

石垣に囲まれた道
戦いの地を見た後はヘイスティングスの街の方へ。
イングランド南に位置する海沿いの街で、夏はリゾート地だそうです。
まだ海水浴には寒いですが、海辺でBBQしてる人々で賑わっていました。
羨ましい!ので、ランチは「カニスペシャル Crab Special」という
エビ・カニと何故かジャガイモをグリルした料理を食べました。

ランチは「カニスペシャル Crab Special」
丘の上に見えるのはウィリアム征服王によって建てられたヘイスティングス城跡。
丘の上へ上るにはリフト(ケーブルカー)に乗ります。
ヘイスティングス城跡は廃墟になっていて中には入れませんでした。

代わりにヘイスティングスの街を見下ろす気持ちよさ。

高い所好きとしては丘の上が気になる

ケーブルカーで丘の上へ

今は廃墟となったヘイスティングス城跡


丘の上から街並みを見下ろす



街並みもとても可愛い

なんだかとっても歪んでます

夏にまた来たい海辺
帰りの電車が大幅に遅れて帰宅は21:00過ぎ。
なかなかの長旅となりましたが、楽しかったです。
スタンフォード・ブリッジも行きたい…!!
ハロルド2世が辿った400kmの道程を逆走して…?

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